「海に眠るダイヤモンド」に触発されて… ~池島(長崎県長崎市)~

2025年1月29日水曜日

ツーリング

t f B! P L

はじめに                

去年の秋のドラマ。
TBS系列で放送された日曜劇場の「海に眠るダイヤモンド」
2024年10月20日から12月22日まで放送)

うしさんがこれまで見たドラマの中でも、1,2を争う素晴らしいドラマでした!

ネタバレになるので詳しくは書けませんが、長崎県の端島(はしま)で生きた人々を巡って、1950年代~70年代の高度経済成長期の端島と、現代の東京を舞台にした、壮大な人間ドラマが展開されます。

人の温かさ、切なさ、スリル、サスペンス、運命、端島の歴史的面白さなど、様々な要素がこれでもかと盛り込んであり、とても密度が濃く、見応えがあります。
うしさんは、今でも番組「ロス」感が続いています。

まだ見たことが無い人は、是非ドラマ見逃し配信のチャンネルなどをチェックしてみてくださいね。

なぜ心惹かれたのか?         

さて、特にうしさんがドラマ全体から感じたのが「もの悲しさ」「ノスタルジー」でした。
なんだか胸が「キュン」とするような、まるでドラマの世界の住人になったような、自分も昔、端島に住んでいたのではないかと錯覚すらするような、普通のドラマとは違う感情移入をしてしまいました。

どうしてこのドラマがここまで心に刺さったんでしょうか。
自分なりに考えてみました。

もともと、うしさんは、長崎の通称「軍艦島」(正式名称が端島です)が長い間気になっていました。

〈以下、「長崎市公式観光サイトTravel Nagasaki」HPから説明文をお借りしました。〉
“長崎港から船で約40分のところに位置する端島(はしま)。小さな海底炭坑の島は、岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島です。岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。最盛期の1960年には約5300人もの人が住み、当時、日本一の人口密度を誇っていました。島内には小中学校や病院などを完備、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあり生活の全てを島内で賄うことができたそうです。

端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化に大きく貢献しました。しかし、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより衰退の一途をたどり、1974年に閉山。島民はさまざまな思いを胸に島を去り無人島となりました。”

これを読んだだけでも、ものすごく想像力やノスタルジーをかき立てられます。
その他にも「日本で最初の鉄筋コンクリート構造のアパートが作られた」「日本本土のカラーテレビの普及率が平均10%だった時代に、この島では100%の人が所有していた」などの話もあり、1950年代~60年代にかけて、国内最先端の地域だったことがわかります。

しかし、それが1974年の炭鉱閉山とともに住民も島を離れ、今は無人島になっている。
こういう栄枯盛衰のドラマに、心が惹きつけられるのではないかと思います。

池島とは               

そういうわけで、本当は是が非でも端島に行って、島の隅々まで見て回りたいのですが、残念ながら、クルーズ船で島へ上陸はできるようですが、当時の人々の生活地区までは、一般人は立ち入りができないようです。

そういうときに、ある島の名前を耳にしました。
それが「池島」です。

先ほど同じく、「長崎市公式観光サイトTravel Nagasaki」HPによると
“2001年に閉山した九州最後の炭鉱の島、池島は、神浦(こうのうら)からフェリーで約30分、長崎市外海(そとめ)地区の沖合7kmに浮かぶ、小さな島です。1952年から海底炭鉱の開発が始まり、1959年に営業出炭を開始しました。
のちに採炭の範囲は約3km離れた蟾島(ひきしま)まで及ぶ、坑道総延長距離約90kmの巨大な海底炭鉱へと発展しました。しかし、外国炭との価格競争やエネルギー革命などで経営維持が困難となり、42年の歴史に幕を下ろしました。”

実は、池島の島自体は端島よりだいぶ大きいのですが、そのたどった歴史はよく似ていることがわかります。島の人口も昭和45年には最大で7,776人となったようです。
(端島は南北約480メートル、東西約160メートル、周囲約1,200メートルしかありません)

ただ、端島と違うのは、池島はまだ現在は無人島ではないこと。
現在も島民の方が100人ほど生活しておられます。
しかし、人口は着実に減少していっています。
このままいくと、端島と同じようにいずれは無人島となり、上陸もできなくなるかもしれません。

池島へ                

そう思い立ったうしさんは、一念発起して池島に行くことにしました。
2025年1月3日早朝6:00、車に自転車を積んで、池島と本土をつなぐフェリーが出ている瀬戸港フェリーターミナルへ。

瀬戸港発9:10のフェリーに乗船。
30分弱で池島港に到着しました。

港のそばには観光案内版。

港から、反時計回りで「池島小中学校」「8階建て高層アパート群」を目指すことにします。
現在の時間が9:45。帰りのフェリーの出航時間が11:00なので、許される滞在時間は正味1時間程度です。

島は東側が平地で、島の中央行くに従い標高が急激に上がります。
この島で働いていた炭鉱労働者のアパートは、主にその中心部付近に建てられています。
これらの建物は現在では住む人も無く、廃墟化が進んでいます



アパートのそれぞれの部屋にはお風呂が付いていなかったそうなので、住民の方が利用できるように公共浴場もありました。
下の写真の公衆浴場は現在は閉鎖されていました。
(池島港の近くに、現在でも営業されている公共浴場があります。)

そして、目指していた池島小中学校へ到着しました。
かつて1000人を超える児童生徒が通っていたということで、学校の敷地や校舎はかなり大きなものとなっています。
この池島小中学校のHPを確認すると、2023年時点で小学生2名、中学生1名が在籍していたようですね。(2023年度の学校通信が掲載されていました。)

そこからさらに西に進むと、見えてきました。
8階建て高層アパート群
これらも、住んでいる人はいないようで、廃墟化が進行しています。

いや、真下から見ると圧巻です…
最上階に渡り廊下が設置されているのが面白いですね。

目標地点まで到達したので、池島港まで戻ります。
行きはものすごい上り坂でしたが、帰りは下り坂。
池島港へ戻ります。

池島港周辺には、石炭積み下ろしのための設備の遺構が残っています。



10:50ごろ、池島港に戻り、帰りの乗船切符を購入していたら、もうフェリーが入港してきました。
結構ぎりぎりの時間だったようです。

おわりに               

無事にフェリーに乗り、瀬戸港フェリーターミナルに戻ってきました。

池島滞在時間、ほぼ1時間。
島全体を探索することはできませんでした。

ぜひリベンジして、次はもう少し長い時間をかけて、ゆっくりと先人の息遣いと池島の歴史を噛みしめたいと思っています。

_______________________________
【フェリー情報】
〈西海沿岸商船〉
 瀬戸ー池島  大人500円   自転車240円  (令和6年10月~)






自己紹介

自分の写真
仕事の傍ら、35年以上車やバイクにこだわりを持って乗り続けてきました。その中でわかったこと、身につけたことなど、有益な情報をお伝えしたいと思います。 現在のバイク(KTM1190ADV、BMW C400X) 現在の車(マツダNDロードスター、三菱エクリプスクロスPHEV) キャンプ(ソロキャン、グルキャン、ファミキャン)を中心としたアウトドア歴も30年以上です。 基本アウトドア派ですが、天気が良くない休日は、室内でゲームなどをたしなんでいます。 よろしくお願いします。

このブログを検索

ブログ アーカイブ

九州のツーリングスポット(熊本編)

 今回はうしさんがおすすめする九州のツーリングスポットの中で熊本編を紹介します。 新阿蘇大橋 2016年の熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わり、2021年3月、元の場所から600m下流に作られた道路橋です。 全長525m、最大橋脚高97mで、国道57号線沿いの南阿蘇村立野...

お問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ